緊急対応のために敷設した臨時作戦室では、各方面からの電話がひっきりなしに鳴り、文字通り「蜂の巣を突いた」ような状況でした。
隊員たちはそわそわとし、不安な雰囲気が立ち込めていたのです。
このような中で、私が一番に心掛けたことは「笑顔を見せる」「落ち着く」ということです。32連隊の隊員は皆、連隊長である私の一挙手一投足に注目しているわけです。
もし、連隊長が不安な顔を見せたり、慌てふためいてパニックになると、連隊全体がパニックになります。
昔、日露戦争の時に満州軍総司令官の大山巌(おおやまいわお)という人物がいました。
激戦が続き「負けるかもしれない」という状況で参謀たちが怒鳴りながら指示や電報をしていると、大将の大山がのそっと現れて「あなたたちは何を騒々しく騒いでいるんだ?今日はいい天気じゃないか」とすっとぼけたような話をしたそうです。
そしたらみんな笑って、司令部のパニックがピタッと収まったと。
そうすると非常に冷静な判断ができるようになって、何十キロも離れた部隊まで生き返ったといいます。
また、作戦を指揮するにあたって何よりも大切なのは情報です。
実は当時は前代未聞の大惨事に、自衛隊の中でも指揮系統が乱れ様々な情報が錯綜していました。どれが一番新しく、正しい情報なのか、どこから来た情報なのか非常に混乱していたのです。
しかし、情報のプロである2科長の富樫一尉が苦心して簡潔にわかりやすく作成してくれた整理された「状況図」のおかげで、被害の発生状況を一目で把握することができました。
この一枚の「状況図」が迅速な作戦遂行を可能にしてくれたのです。